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深海の霊園

  • 執筆者の写真: tilltillteabrunch
    tilltillteabrunch
  • 9月2日
  • 読了時間: 6分

深海の霊園


 海の底には行ったことがない。人づてにこんな話をきいた。


 海の底には美しい花が咲いている。誰も見つけたことはなく、その噂だけがひっそりと囁かれている。どんな花なのか、と私は問うた。とにかくそれは美しい、おそろしさまで感じるほどだと言う。ぜひ、見てみたい。どこにあるのか、続けてたずねてみた。わからない、と返された。本当に存在しているのだろうか。


 私の家は海辺にある。生まれた時からここに住み、育った。両親はいない。海の事故で亡くなっている。両親を奪っていった海だ。憎いと今でも思う。海のそばにさえいなければ、住んでいなければ。


 しかし海に惹かれずにはいられない自分がいる。早朝の朝日が海面を輝かせる。昼間、空の天使の梯子、夜のさざなみの子守唄。寂しい毎日を慰めてくれたのもまた海だった。海はそこにあるだけだ。海をどう思うかなんて人間の勝手だ。


 海に焦がれる私、朝の始まりは窓を開けて海を眺める。毎朝の決まり事だ。雨が降ろうが風が強かろうが雪で冷え切っていようがかわらない。


 季節は冬だ。海は色を変え、波の高さは毎日変わる。潮風はこの身を貫こうとする。


 それは鈍色の雲の日だった。私は寒さに身を縮めながら浜辺を歩いていた。こんな日に両親を失った。もう何年も何年も前のことだけれども忘れない。悲しみが冷えを思い知らせた。


 「もしもし、あなた?」


 振り返ってみると長い髪の人物が立っていた。髪は白い、老婆か、一瞬そう見えた。しかし瞬きするとまだ若い女性だった。私の立っている場所よりも、より海に近いところにいる。寒さの中、そのか細い足は波にさらわれてしまいそうに見えた。


 「大丈夫ですか?」


 声をかけられた私は思わずたずねてしまった。その女性があまりにも寒そうだったからだ。夏物かと見紛う白いワンピースに海色の、これもまた薄いカーディガン姿だ。しかもよくよく見たら裸足で、時折やってくる波が白い足を覆っている。


 「あたしは元気だけど」

 「あ、そうですか。あの、とても寒い日ですから心配になりまして……」

 「心配どうも。大丈夫だよ」


 その女性は白い顔でにっこりした。笑顔がとても美しい、と思った。そしてふふっと微笑み私を指差した。


 「あたしさ、あなたを探してたんだ」

 「え?」

 「あたしね、海から来たの」


 話がみえない。その女性、いやまだ少女のようだった。あどけない、そしてあやうい雰囲気がある。


 「あなたが毎日、海をみつめて悲しそうにしているからね、海の偉い人があなたのお話しをきいてきてあげてって言ったの。あたしはその人のお使い」


 海の偉い人とはなんだろうか。


 「あたしにさ、悲しい理由、話してみて。ちょっとは気が晴れるはずだよ」


 変な子だ、関わるべきではないかもしれない。それでもこの少女に微笑まれると、歌うような声をきいていると、不思議と心が穏やかになった。だから私は話した。海で両親を失ったこと、憎しみと同時にどうしても惹かれる、懐かしくなる、そんなことを話した。話し終わると少女はうなづいた。


 「それは本当に悲しいことだね。海の偉い人にかわって謝ります。そう、だからね、お詫びにあなたのお願いごとをあたしがひとつききます」


 変な状況に巻き込まれていると知りながらも、やはりこの少女には海のように引き込まれてしまう魅力があった。白波のようにゆらめく白い髪。灰色の雲間から光が差し込みその髪をきらめかせる。きいてもらうだけならいいか、私は海のような少女を見つめながら思いを述べた。


 「ある人からきいたことがあるんですけれど、海の底に咲くという花、が見たいです」

 「ほうほう、なるほど」


 少女はわかりましたと深く頷き一礼をした。


 「あたしが海の偉い人に伝えます、安心してくださいね。では、あなたの海が、これからは穏やかで優しいものになりますように。さよなら」


 返事をしようとしたら突風が吹いた。冷え切った風が眼球を突き刺し、思わず目をつぶった。ゆっくりとまぶたを開けたら少女は消えていた。ただ私の足下に一匹、魚がぴちぴち跳ねていた。かわいそうに思い、掬い上げて魚を海に帰した。魚は素早く泳いですぐに波の中に消えた。


 その夜、私は珍しく夢をみた。


 私は今、海の底にいる。来たことなんてないはずなのにすぐにわかった。暗い黒色に透明なあぶくがコポコポ上昇している。足下にはおそらく砂浜がある。試しに歩いてみると砂埃がたった。海の中、それなのに私の息は苦しくなかった。


 ああ、これは夢なんだ。


 すっ、と影が見えた。私の目の前まで影はやって来た。その影には一粒の光がついていた。ゆらゆら目の前で揺れる光を見つめた。光はちょろり、と跳ねた。そして私から少しずつ遠ざかっていく。なんとなく、着いて行った。


 泳ぐように歩いていくと、さまざまな生き物に出会えた。ネオンのようにきらめくクラゲたちが海中をただよう。虹色に点滅し光る腕を気ままに伸ばしている。黒目の見事なサメたち。少ない光を求めて目一杯、開く目。発光する小魚たち。おしゃべりをしているのか、ふわ、ふわっと光って見える。大きな貝が海底の砂から飛び上がり驚いた。砂埃を巻き上げて貝は暗闇へと姿を消した。


 一粒の光はチョウチンアンコウのものだった。それがわかったのは、目の前にあたたかな光が見えてきたからだった。だんだんとはっきりしてきたチョウチンアンコウの姿。うっすらとしか見えなかった光はやがて辺り一面を優しく照らした。


 美しかった。そこには大きな桜が一本だけ咲いていた。白い幹に桃色をした花びらが静かに発光している。チョウチンアンコウは桜の方へと進み続ける。ゆったりとした泳ぎについて行く。


 桜に近づくと花びらが小さな貝殻でできていることに気づいた。花びらは桜貝らしい。薄桃色から紅色に近い色まで、豊かな色合いだ。鮮やかな色に圧倒される。歩いている砂浜にもたくさんの桜貝が散っている。本当にあったんだ。


 幹に触れられるほど近づく、そして私は幹に寄りかかり腰掛けた。チョウチンアンコウは私の周りをゆっくりと漂う。後ろを振り返ることになった私は周囲の様子にようやく気づいた。


 大きなクジラの骨があった。そのほかにも大小さまざまな魚たちの骨が、桜貝の木のまわりには落ちていた。チョウチンアンコウはうまく私を誘導してくれたのだろう、何も気がつかなかった。幹のそばへと下ろした手のひらにも小魚な骨の感触があった。拾い上げるとその白い骨は粉々になり、海底の砂へと消えた。


 この世、この世界の地上では見られるはずのない景色のはずだ。美しい花が咲くわけだな、と思った。こんなにも美しい場所にたどり着いたのだな、悲しみと懐かしさが胸を覆い、私は目を閉じた。

 
 
 

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