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世代越え行く世界

  • 執筆者の写真: tilltillteabrunch
    tilltillteabrunch
  • 6月14日
  • 読了時間: 7分

 まわる、まわる風車が丘の上、一つ。一匹の羊を追いかけて丘を登った。どこまでも、丘の上まで続いている小石の転がる小道。羊たちが踏み固め作り上げた道なのだ。雑草たちは分別をわきまえて道を空けている。セイタカアワダチソウが背伸びし、黄色く咲く。その日差しの色は心をあたためる。枝々に咲く花は遠目にはほわりとした質感だ。背はまちまち。でこぼこの背格好が個性豊か。

 羊は急いだ様子もなく歩く。自分の行きたいように行き、生きている。この丘の先、何が待っているのか。いつも大人達に止められる。丘には登るなときつく言われている。だから知らない。でも、今日は年に一度のお祭りがある。大人達も誰もかも、浮かれて踊り出す日なのだ。もちろん僕だってその一人だ。それも去年までの話。誰もが心待ちにし、楽しむ祭り、つまり皆が参加する。誰も丘に向かう僕を咎める大人がいないということだ。祭りに夢中、子供一人居なくったって気づかれないはず。祭りを抜け出し、丘を目指した。

 羊を追っていくフリをして丘を登り行く。大人達の言うことを僕達は素直に守っている。丘を登ってはいけないよ、と言い聞かせられている。丘の上には恐ろしい化け物が住んでいるから、凶暴な狼が根城にしているとか、とにかく僕達が怖くなる話をした。僕たちはそれを信じ込んでいる。誰も丘に近づくことすらしなかった。

 言いつけを破る後ろめたさはあるが、心が弾んでしまう。とうとう真相がわかるという期待が半分。もう半分は不安だ。本当に化け物や狼がいたら、それでも好奇心には勝てなかった。

 羊は呑気にメー、メーと鳴いている。羊は丘の上に行くことができる。大人達は僕達子供にはきつく決まり事を守らせる。羊は自由だ、丘の上に何があるのか知っている。その目にその景色を映したことがあるのだ。羊の隣に追いつき、目を覗き込んで見た。その縦筋の瞳はどこを見ているのかわからなかった。人間とは違うその瞳が恐ろしくなり、また距離をとった。

 もうすぐ、もうすぐ、頂上に着く。待ちに待った、恋焦がれた瞬間にたどり着くんだ。自然と早足になる。待ちきれなくて羊を追い越した。息を切らせて丘を登りきる。羊達が所々群れを作って塊になっていた。

 目に映ったのは見たことのない景色だった。丘の向こう、さらに遠く、遠く、この丘よりもさらに高い、山々が広がっていた。てっぺんは白くうっすら雲がかかっている。丘を、僕たちの町を囲むように山は存在している。

 僕は膝をついてしまった。悔しかったのだ。禁じられた丘、登れば素晴らしい世界が広がっていると思っていた。確かに素敵な景色だった。でも、僕が願った世界は狭くて、現実はもっと広大だった。あの山々に登りたい。そして、山の向こう側を見てみたい、いや絶対に見る。


 僕は計画を立て始めた。あの丘を越えて、山々すら超えられる日を夢見て。

 僕が丘に登ったことは思った通り、誰にも見つからなかった。ただ遅くまで家に帰らなかったことだけ叱られた。こっぴどく怒られたが心は明るかった。

 僕は計画のことばかり考えていた。ぼんやりしていることが増えたらしい。友達が、大人達が、僕の目の前で手を振る、そんなことばかりだった。町の図書館へ行き、山、登山について調べた。しかしおかしなことに山や登山に関する書物は見つからなかった。試しに分厚い辞典で山、と引いてみた。山、の文字と解説は黒く塗りつぶされ読めなくなっていた。

 今まで気づかなかった。気にも留めなかった。調べて初めて知ることもあるのだ。なぜ、黒く潰されてしまったのか。大人に訊こうとしたがやめた。訊ねれば、どうしてそんなことを訊くのか、逆に訊かれてしまうと思った。僕は、僕だけの力で山を越えるのだと決意した。

 一年が経ち、また祭りの季節が来た。僕は思った。まだ決行には早すぎる。抜け出すならば祭りの日と決めていた。作物の豊作を願い、感謝する祭りだ。

 僕はこの一年、着実に準備を進めていた。身体を鍛えた。きっと体力も筋力も今以上に必要なのだから。保存の効く食べ物や調理方法を片っ端から調べた。幸いこの町は作物や穀物が豊かに実る。料理に興味を持った僕を大人達は喜び、作り方を優しく教えてくれた。

 しかし飲み水が問題だった。いくらかは運べば良い。だが底を尽きてしまったら行き倒れだ。あの丘の向こうに水源があれば良いが、去年、そこまで確認せず戻ってしまった。自分の失敗に腹が立った。

 だから今年はまた丘に登るだけにした。じっくりと丘を見渡し、計画の穴を探す。僕は喜び笑った。素晴らしかった、大きな川が遠くにあるのがわかったのだ。来年こそ、僕はこの丘を通り越して山々を目指すのだ。秘密の計画、誰にも話せない。でも誰かに聞いてほしくて僕は羊を話相手に夢を語った。羊は知らん顔でメー、と鳴くだけだった。決意を新たに僕は丘を降りた。

 半年ほど過ぎた。毎日、身体を鍛え、料理の腕も上がってきた。大人達は喜び、僕は仕事を手伝えるようになっていた。楽しい日々が過ぎて行く。それでも頭にはあの丘から見た景色が鮮明に描かれている。思い出す度、今年こそはと息巻いた。

 今日の夜、決行する。祭りの日に決めた。食料は万全、体力は満タン、鍛えた足腰、腕。きっと辿り着き、越えられる。この日を楽しみに励みに過ごしてきた。家族が祭りに行っている内に出発しようとしていた。家族には申し訳なかった。帰って来られるかもわからない道のりだ。反対されるに違いない。だから置き手紙を残すことにした。自室の机、鍵付き引き出しにしまい、さあ、と鍵をかけた。

 するとドアをノックする音がした。皆、祭りに行っているはずなのに、おかしいなと玄関ドアを開けた。そこには一つ歳下の女の子が立っていた。どうしたの、と訊くとお話したくて、と頬を赤らめた。なんとその子は僕のことが好き、だと言った。僕もその子のことが気になっていた。笑顔の素敵な活発な子だ。家族ぐるみで仲良くしていたからよく一緒に過ごした。あなたの優しく逞しい心が好き、一生懸命に働く姿に憧れている、あなたの作ってくれたお料理の数々、美味しくて一緒に作ってみたい、と。なんてことだ。丘を、山々を越えるための努力がこんな風に報われるとは。

 熱心な告白、僕は満更でもなく、晴れて僕らはお付き合いを始めた。今年は丘に行けない、彼女と踊りながら、祝いをあげながら、僕は密かに残念に思った。

 あれから五年が過ぎてしまっていた。彼女とは仲睦まじく過ごしている。実は今日、彼女に結婚を申し込もうとしていた。彼女が告白してくれた、あの祭りの日だ。指輪も用意した、伝えたい言葉もたくさんある。僕は決意した。

 自室の鍵付き引き出しに指輪はしまってある。決意を胸に鍵を開け、引き出しに手を入れた。かさり、と紙が手に触れた。そして思い出したのだ。丘を越え、山々を目指していた日々のことを。僕の心は揺れた。町での日々、年月はかけがえのないものだ。彼女のことも、誰よりも大切に思っている。いつしか僕は丘を山々を思い出さなくなっていた。でも、今日、思い出してしまった。

 町が、町の人々が大好きなんだ。彼女を愛している。皆を悲しませたくはない。しかしあの日夢見た自分を、努力の毎日を、捨てて良いのか。決められなかった。僕は指輪と置き手紙、両方とも持ち出し、彼女の元へ向かった。

 彼女は恐る恐る僕に着いてくる。不安げに時々繋いだ手をぎゅっと握りしめる。僕はまだ悩んでいた。僕は彼女と共に、あの丘を登っている。

 怯えた彼女を連れ、ついに頂上についた。彼女は恐る恐る目を見開き、口を開けて驚いていた。すると涙を流してありがとう、と言った。こんなに素晴らしい景色を大好きなあなたと見られるなんて、幸せよ、と。ああ、と僕は思った。彼女には笑ってほしい。悲しませたくなんかない。僕はポケットから指輪を取り出し、彼女へ捧げた。


 あれから五十年は過ぎたか。僕は今も故郷の町に住んでいる。大好きな愛する妻と、たくさんの家族に囲まれて幸せな生活を送っている。

 ある日の年、祭りの次の日だった。ロッキングチェアに揺られひだまりで一人、うとうとしていた時だ。孫の一人、女の子、が近寄ってきて訊ねた。

 「あのね、おじいちゃん。皆には内緒にしてね。あの、山ってなんだろう? おじいちゃんはたくさん生きているから知ってる?」

 僕はこう答えた。

 山について調べたいなら調べなさい。きっとおまえは、おまえにしか手にできない幸せを知るだろう、と。

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