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低老平寿(ていろうへいじゅ)

  • 執筆者の写真: tilltillteabrunch
    tilltillteabrunch
  • 6月14日
  • 読了時間: 8分

 「ほら、あの人」

 「知ってる、若いままなんだよな」

 「何か特殊な施術でも受けているんだ」

 「大金持ちなんだろう」

 「もしかして何百年も生きてたりして」


 私が悪魔に魂を売ったせいだ。おかげ、と言うべきか。私は歳をとりにくい。周りが言うように若さを保っているわけではない。とりにくい、とはつまりとらないわけではないのだ。ひたすらゆっくりと進む。緩やかに私の老いは訪れる。初めは気がつかなかった。自分も周りと同じように老けていく、当たり前だと思っていた。

 ある時、友人に言われた。あなた本当に同い年かしら、何か特別なことをしているの、それならば教えてちょうだい、と。何も心当たりはない、と伝えると友人はむくれた。

 不死ではなく不老に近い。長寿ではないと思いたい。寿命はせめて平均値であってくれ、と願う。いくつまで生きるなんてわからない。それは確かに当たり前のことだ。知り合いは次々に亡くなり、取り残される。それだけならまだしも人々は私を不気味がるだろう。一向に老いない私は化け物扱いされる。私は今の住居から離れて行くにちがいない。居づらくて、たまらなくなるはずだ。

 シミやシワの無い鏡を見る。毎日、飽きもせず眺める。それはシミやシワが一つでもできていたら、そういう望みを込めて鏡を見つめるのだ。


 悪魔に出会ったのは子供の頃だった。家族でキャンプに出かけた時に偶然見つけた。河原で遊んでくる、と家族に告げ、上流を目指した。ひとしきり川を眺めて、石を飛ばしたりした。どうやっても石は二回しか跳ねてはくれなかった。

 帰り道、迷うはずはなかった。ただ上に登っただけなのに。川に沿って来た道を戻れば帰れるはずだった。ところがいつまで経っても家族の元に帰れない。行けども行けども、誰もいない川が続く。

 きっと悪魔のイタズラだった。私は不安と恐怖で泣き出しかけていた。流れ出そうになる涙を必死で抑えて歩いた。それでも帰れなかった。

 もう日が影ってきた。ますます恐怖がつのる。そこで出会ってしまった、悪魔だ。悪魔はさっきの私と同じように川に石を投げていた。見事なフォーム、子供だった私にもわかった。ちょん、と石は跳ねて川の半分以上飛び、水底に沈んだ。私は思わず拍手してしまった。悪魔は、ん、と声をあげて振り返り私を見た。悪魔は子供だった。私よりも少し年上に見えた。もっとも、この時点では悪魔が悪魔であるとはわからなかった。そのくらい人間らしかった。

 「迷子か?」

 悪魔は、子供にしては仰々しい話し方をした。

 「うん、道がわからなくなっちゃった。あなたも?」

 悪魔は笑って言った。

 「そうか、僕もなんだ。だからここで待っている」

 「家族を待っているの?」

 「ああ、まあそうだな」

 おかしそうに私を見ている。

 「なあ、君もここで待とう。待っていればやってくる」

 「え、うーん、いいよ」

 これが私の記憶の中にある、初めてにして最大の失敗だった。このおかげでその後大きな失敗をしても、まああれに比べたら、と持ち直すことがたくさんあった。悪魔に助けられているようで癪に触る。悪魔は悪魔であるはずなのに。

 悪魔はわけのわからないことを話した。空に浮かぶあの円はなんだ、と。子供といっても私より少し年上、知らないはずないのに、と思った。勉強が嫌いなのかもしれない。だから私は丁寧に教えた。

 「あれは太陽。今はオレンジ色をしていてこれから眠るの。この後月が夜、黒い空を見守る。月は白かったり、黄色かったり、銀色になったり。交代して私達を照らしてくれる」

 「ふーん」

 「月は満ち欠けしてね、形を変える。私は三日月が好きだな」

 「へぇ、どんなのかな三日月。見たいね、見せてよ」

 「えぇ、できないよ。今日は満月ってきいたもの」

 「あっそう」

 悪魔の話し方は段々と砕けていった。誰でも知っているようなことを悪魔は知らないようだった。人間の当たり前、悪魔は多分知らないのだ。私は悪魔が促すまま、丁寧にひとつひとつ教えた。教えるのが楽しくなってきた頃。そう、悪魔の名前をきこうとした時だ。

 「良い暇つぶしになった」

 「えっ、あなた迷子なんじゃ……」

 「じゃ、楽しかった」

 悪魔は手を伸ばして私の片頬をつねった。あまり痛く無い、とものすごく痛い、の間くらい。痛みに目をつぶってしまった。

 「痛いっ、なにする……」


 目の前には家族がいた。えっと思ったら父と母に抱きしめられた。不安だったでしょう、とか一人で行かせてごめん、とかすごく謝られてしまった。私は気もそぞろだった。さっきまでいたはずの悪魔が姿を消した。

 父と母が片手ずつ、両手を引いてくれた。帰ろう、と歩き出す。私は時折後ろを振り返ってみる。悪魔はどこにもいなかった。でも一度、涼しい風が吹いてきた。寒いねと三人で縮こまった。すると風が私の耳をくすぐった。つねられた頬、と同じ側の耳だった。またな、悪魔が囁いた気がした。それからきっと、私には悪魔の呪いがかかっている。

 悪魔が悪魔だなんて知らなかった。直接悪魔にきいたわけでも教えられたわけでもない。あれから一度だって会っていないのだから。でも私の身にかかったこのひとつの災い、原因はきっとあの悪魔にあるはずだ。こんな嫌な思いばかりする、老い知らずの私。悪魔だ、悪をもたらすのは悪魔に決まっている。

 もう一つ、思い当たるところがある。あの涼しい風がたまに吹くのだ。耳元でひっそりと。すると決まって良くない知らせやら、悪口が届いた。頭に来る、あの悪魔だ。


 もう何年たったことか。私はすっかり老人と呼ばれる年齢だ。それなのに、私は五十年近く若く扱われる。周囲の皆は蔑み、やっかみ、離れていった。悪魔め、どうしてくれよう。過ぎた年月が私を強く、図太くしてくれた。

 夕暮れ時だった。ぼうっとしていたらフッとまた涼しい風が吹いた。閉じていた遮断機が上がる。風のせいで我に返り急いで歩き出す。踏切を渡るところだった。なんと踏切の真ん中、足を取られた。線路の溝に靴先が挟まり、身動きがとれなくなった。無理矢理引っ張って尻餅をついた。ぼうっとしていたせいだ。周りを碌に確認せずに急いで渡り出した。気づいたらトラックが目の前に来ていた。迫るトラックは、運転手はなんと居眠りしているのか、船を漕いでおり、私に気づかない。

 終わりだ、やっと、と思った。一瞬だ。もう悪魔に悩まなくて、怯えなくて良いのだから。

 強い、涼しい、寒すぎる大風が吹いた。寒くて私の足は縮こまるように勝手に動いた。そして足は溝から離れた。咄嗟に私は身を転がし、トラックの通り道を逃れた。ほっとする間もなく気が遠くなっていった。


 「また、会えたわけだ」

 悪魔が笑っている。

 「あんたね、何よこの仕打ちは!」

 「何のことだか?」

 「とぼけないで、皆あんたのせいよ、この悪魔!」

 「へぇ、教えてよ?」

 この後に及んでまだそんなことを。怒りに任せて全てを吐き出した。年老いず、辛かったこと。周囲の目が冷たくなること。風が吹く度に嫌な思いをする。だから風が嫌いになり、怯えていたと。さらにさっきの事故、危く命を落としていた、と。

 「教えてくれてどうもありがとう」

 「なによ、しおらしくしたって許さないから!」

 「濡れ衣だと思うが」

 「はあ?」

 悪魔から初めて何かを教わった。全ては私を守るためだった、と。あの日、私の片頬をつねったのはしるし、だと。自分の力を少し分けた、守りの力を施したのだ。自分は風に乗るのが大好きだからいつも風と共に過ごしていた。だから現れる度に風が吹いてしまった。

 「そんなこと信じられない」

 「だろうな、ま、きいてくれ」

 風が吹く度、嫌な思いをしたのは警告のつもりだったと。悪い人間、例えば私の老いない姿を蔑むやつらを遠ざけて欲しかったと。わざと風に乗せて聞こえるようにしたらしい。どうりで私は耳が良かったわけだ。確かにそんなことを言わない人達もいる。そんな人達だけと今は交流している。

 事故やら事件に巻き込まれそうになる度、風を吹かせて足を止めていた。危ない場所にも近寄らせなかった。だから今病気も怪我もしてないわけ、悪魔はさらりと言い放った。驚き呆れ、何も言い返せなかった。

 「じゃ、じゃあ何で老いないのよ……」

 「今日のため、今日死ぬはずだったんだ」

 「そんな、信じない」

 「もし、老いていたら、あんな風に咄嗟に動けないだろう。だから今日のため、若さを保たせていたわけ」

 「なにそれ……」

 「ま、僕も完璧にはできないわけ、だから少しずつ老いてしまった」

 納得したくないのに、納得できる内容だと思ってしまう。だって目の前の悪魔は老人の姿をしている。腰は曲がり、まるで人の二倍歳をとっている、ような。

 「ともあれ、危機は脱した。これで思い残すことはない」

 「そんな、思い残しなんて、死ぬみたいじゃない……」

 「君の分も歳をとったんだ、疲れたんだ。いい加減休ませてくれ……」

 「なんで、なんで私なんか……」

 悪魔は笑って言った。

 「ただの暇つぶしだ。長い年月、もう飽き飽きしていた。君はあの日僕を楽しませてくれた。恩人へ、もらった礼だ。君を見守るのも楽しかった」

 「私、どうしたら……」

 「残された時を大事にな」

 「待って、また会えるでしょう?」

 悪魔はニヤリと笑って手を振った。


 「大丈夫ですか!」

 「大変、救急車を呼びますか?」

 たくさんの声に囲まれて目を開けた。とんでもないことだった。白昼夢のような一瞬だった。

 私を引き止める人々に礼を言い、走り出した。静止する声を手を振り切った。悪魔がくれた若さが私を走らせる。あの河原に行くんだ。きっとまた会える。そう信じ、ただ夕闇の街を走り抜けた。

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