浅葱の海
- tilltillteabrunch
- 6月14日
- 読了時間: 9分
今日もまたあのカフェへ行く。海辺にある、浅葱色の2階立ての建物。海を背にして建っている。壁には四角く、そして白い縁取りがされた窓がいくつか。浅葱色の壁には所々、白いレンガとシーグラスがなんともいえない美しい配列で埋め込まれている。渦を巻いたり、サンゴ礁を模した形。屋根は白と青のストライプ。まるで目の前にある海をそのまま被せた様な深い波の色。
まだ日が昇ってからそう時間は経っていない。辺りには薄暗さが漂っていた。新鮮な空気を吸い込む。白いフレームの自転車を転がしてこのカフェに通っている。来店する頻度は決まっていない。気まぐれに訪れる。唯一決まっているのは朝に来ること。
カフェに着いた。ここには駐車場はない。迷惑をかけない場所、店主に了承を得て建物の脇に自転車を置かせてもらっている。鍵をしっかりと閉めた。シンプルな白い貝殻のキーホルダーがついた素敵な鍵。ポケットへ仕舞い込む。
白いドア。サンゴでできたリースが飾ってある。ドアには窓がついていないので、ここからは中の様子はわからない。しかし、リースの下にはOPENの吊り下げ看板がさがっている。営業しているのは間違いない。街が目を覚まし、動き出す前の時間。ドアノブのレバーを引く。しんとした海辺にドアが開く音が響く。足を踏み入れた。
コーヒーの香りが心を落ち着かせる。壁は外壁と同じく浅葱色。額縁がいくつも飾られている。皆、海に関わる絵や写真がかかっている。海辺、魚、空、鯨、クラゲ。輝く色彩。心奪われる景色。誰の作品なのか、一度店主に尋ねたことがある。店主は困った顔をして微笑んでいた。深入りは禁物。居心地の良い場所を失いたくはない。微笑みを返してそれ以上聞かなかった。
天井では白いシーリングファンが風を運ぶ。床は白い板張り。テーブルもイスも全て白い。観葉植物の緑がアクセント。
「いらっしゃい」
初老の紳士、店主が声をかけてきた。会釈をする。
「どうぞ」
店主は軽く手を挙げた。その手は店内にある階段へ向けられている。
「いつもの、でよろしいですか?」
頷き、歩き出す。階段へ向かう。この階段は2階へ通じている。やはり白色。一歩進むたびギシギシと頼りない音がする。
薄暗さのあった1階に比べて、2階は少し明るい。海に面した方角、そこの壁は一面ガラス張りだ。ほんのりもやのかかった海が見えた。ガラス張りの下、窓際はカウンター席になっている。そこの1番左、隅っこ、が定位置だ。ゆっくりそこを目指して歩く。
常連客がいる。朝の、いつも同じ顔ぶれ。まずショートカットの白い髪をした高齢の女性。背筋を伸ばして腰掛けている。文庫本を読んでいるようだ。彼女はオレンジジュースを好んでいる。テーブルの上のグラスの中身は、やはりオレンジ色をしている。カットされたオレンジがグラスの縁に飾られている。結露の具合から、ここにきてしばらく時間が経っていることがわかる。その割に中身は減っていない。きっと物語に夢中なのだ。
そして焦茶色の髪を後ろで1つに束ねた男性。白いワイシャツにネクタイ。おそらくこれから出勤するのだろう。頬杖をついて新聞を睨んでいる。彼はモーニングセット、ドリンクは牛乳、がお気に入りのようだ。トースト、切れ込みにバターが染み込む。噛み締めるとジュワッとカリッと香ばしい。目玉焼きは好みの焼き加減を叶えてくれる。サラダはみずみずしく、ソーセージはパリッと弾ける。しかしまだ注文の品は届いていないらしい。
最後に黒い髪、ミディアムの髪を外ハネにした女の子。丸眼鏡、学生なのか、よくノートパソコンを持ち込んでいる。今もキーボードを静かに叩いている。彼女はレモネード、そしてオムレツが定番だ。黄色が好きなのか、身につけている服は黄色系統が多い。いくつもの書類をかわるがわる見比べては、パソコンに向き合う。
アイスティー、ミルクたっぷり、ガムシロップひと匙。それがお決まりのいつもの注文だ。朝の空気にぴたりとはまる。目覚まし。苦すぎても甘すぎても良くない。初めてここにきた時からずっと頼んでいる。
いつもの定位置に着席する。ほっとひと息ついた。海をひとしきり眺め、スマホを取り出す。イヤホンをつけて音楽を流した。聴こえるか聴こえないか、ギリギリの小さな音量。音楽も楽しみたい、だけどここの優しい環境音も好きなんだ。カウンターテーブルに両手を置いてその上に顎を乗せる。波を見つめる。ゆったりとした時間。
常連客は丁度良い具合に離れた席に座っている。お互いの存在を知ってはいる。きっと今日も居るな、とか、また会ったな、と互いに思っている。しかし干渉はしない。心地良い他人。変わらない朝の光景。決まったルーティーン。それぞれがそれぞれ、1人を大切にしている。
しかし、今日は違った。しばらくするとイヤホンをすり抜けて階段を登る音がしてきた。店主が男性のモーニングセットを運んできたようだ。男性が礼を言うと店主は微笑んだ後、階段へ向かった。1階へ降りたらしい。そしてすぐにまた階段の軋む音がした。きっとアイスティーができたのだろう。
「おまたせしまし……っ!」
店主がグラスをテーブルに置こうとした。するとグラスは滑り落ち、大きな音をたて、テーブルを転がった。幸い床にグラスは落ちず、割れなかった。しかしテーブルはアイスティーの海。
「申し訳ありません。お怪我はありませんでしたか?」
「いえ、大丈夫です」
「すぐに代わりのものをご用意いたします」
「すみません、ありがとうございます」
「すぐにお掃除いたします」
店主は掃除道具を取りに行った。大きな音と、朝の平穏を破ったやり取り。3人の視線がこちらに注がれている。朝の静けさを、穏やかな時間を乱してしまった。申し訳ない気持ちでうつむいた。
「あらあら、これでお洋服を拭いてください」
驚き、顔を上げた。白髪の女性が心配そうな表情でハンカチを差し出していた。急いでイヤホンを外す。
「そんな、大丈夫ですって」
「いいから、気にしないで」
「……ありがとうございます」
初めて会話をした。邪魔をしてしまった。申し訳なさでいっぱいになった。しかし彼女の好意を無下にはできなかった。ハンカチを受け取り洋服を拭かせてもらった。
「これ、洗ってお返しします」
「いやだわ、いいのよ」
「でも」
それでは気が済まない。白髪の女性は少し考えていた。そして口を開いた。
「じゃあ、お礼としてお願いしたいことがあるの」
「なんでしょうか」
「お掃除が終わってアイスティーが届いたらね、私と一緒に飲んでくれないかしら?」
驚いて言葉が出なかった。1人の時間を大事にしている。そんな人だと思っていた。
「良いのですか?」
「ええ、もちろん」
白髪の女性は優しく微笑んだ。
「ありがとうございます。では、よろしくお願いします」
「ありがとう」
白髪の女性は後ろを振り向いた。
「良かったらあなた方、お兄さん、お嬢さんもご一緒しませんか?」
焦茶髪の男性も黒髪の女の子も驚いていた。しかしすぐに2人とも微笑んだ。男性は新聞を折りたたみ、女の子はパソコンを閉じた。
「ありがとうございます。ぜひご一緒したいです」
「あ、ありがとうございます。私も」
白髪の女性は優しく微笑んだ。
「ありがとうございます」
階段が軋んだ。店主が急いで上がってきた。申し訳なさで俯いている。雑巾にモップ、バケツ。店主から取り上げた。店主は困った顔をした。
「あ、あの」
「お手伝いします」
「いや、しかし」
「いつも優しい時間をありがとうございます。だからお手伝いしたいんです」
「すみません、本当に」
互いに会釈をした。白髪の女性、焦茶髪の男性、黒髪の女の子も混じって掃除を始めた。すぐに終わった。
「皆さん、本当にありがとう」
店主は階下へ向かった。それを見届けると3人、白髪の女性が腰掛けている4人テーブルへ向かった。それぞれの荷物と飲み物、料理を持って。
「初めまして、かしら?」
白髪の女性が話し始めた。焦茶髪の男性が答えた。
「何度もお見かけしていますがね、お互いに。初めてお話しするけれど、そんな気が全くしないですよ、僕」
焦茶髪の男性は楽しそうに話す。
「わ、私もです。皆さん朝のこの時間、いつもいらっしゃいますよね?」
黒髪の女の子は少し緊張している。その緊張が伝わってきて同じように気持ちが縮んだが、答えた。
「はい、とても好きなんです。ここで過ごすひとときが。皆さんも同じですか?」
皆、一斉にうなづいてくれた。
「僕、気づくとここにきちゃうんですよ」
「わかります。レポートも捗りますし、とても素敵な居場所です」
「あらあら、皆、気が合うわね」
階段を上がる音。店主がアイスティーを持ってきてくれた。皆が同じテーブルに着いているのを見て驚いていた。しかしすぐに表情が戻った。
「お待たせいたしました」
「ありがとうございます」
白いコースター。カモメのイラストが青いインクで小さく描かれている。コトッと音を立ててグラスが置かれた。店主を見送る。
「ここのドリンクはどれも美味しいです。お料理も。でも同じものばかり頼んでしまいます」
「あぁ! 同意です! なぜでしょうね?」
黒髪の女の子は不思議そうだ。
「僕、実家が牧場を経営しているんです」
焦茶髪の男性が首を傾けて悩みながら続ける。
「美味しい牛乳を毎日飲ませてもらっていました。朝ご飯はいつもトーストでした。牧場は継がなかったのです。でもあの牛乳が、朝ご飯が恋しい。ここの牛乳はあの牛乳と似ているのです。トーストも焼き加減がそっくりでして」
照れくさそうに微笑んだ。
「私は黄色が好きなんです。とっても元気をもらえます。お友達も私には黄色が1番似合うよって褒めてくれます。だから洋服として身につけています。ここのドリンク、レモネード、お料理、オムレツ。私の思い描く黄色、私の表現したい黄色。理想の色なんです。もちろんお味も大好きです」
黒髪の女の子は嬉しそうだ。
「私は一人暮らしをしているの」
白髪の女性はゆっくり話し始めた。
「夫に数年前、先立たれてしまったの。でもね、ここのオレンジジュースを飲むと思い出すの。ちょっとグラデーションがあるでしょう。夫と2人で見た朝焼けと似ているの。綺麗だから早起きして見に行こうって誘われて。その朝焼けを見た時にね、プロポーズされたのよ」
ほんのり頬を染めて白髪の女性は語った。
「皆、大切な想いと思い出があるのですね」
ここは皆の大切を大切にしてくれる場所なのだ。
「ね、あなたはアイスティーをよく頼まれているでしょう?」
「あ、そういえば、そうですね! 私聞きたいです、あなたの想いも」
「お、僕も聞かせていただきたいです」
3人が目を輝かせて注目する。アイスティーをひとくち飲んだ。
「えっとですね……」
薄れていた意識がはっきりとしてきた。重いまぶたをこじ開ける。ベッドから身体を起こした。うーん、と伸びをした。暖かな朝陽が窓から差し込み、足元を照らしている。今日が今日も始まる。
楽しかった。まだアイスティーの味がする気がする。夜、眠りにつく。すると時々あのカフェの夢を見る。とても鮮やかで優しい夢。どうして見るのかはわからない。いつ見られるのかも定かではない。
あのカフェにあの3人はいつも居る。今日は初めて話をした。大切な想いがあると皆言っていた。あのカフェは大切な思い出を、大切に思い出す場所なんだ。
きっとあの3人も、この世界のどこかで朝を迎えている。そう信じている。また、あの場所で会えたら。アイスティーの思い出を話したいと思う。その日を楽しみに、今日もアイスティーで朝を始めるんだ。



コメント