炭酸水といちごオレ
- tilltillteabrunch
- 6月14日
- 読了時間: 5分
泡が口いっぱいに広がる。喉の奥ではじける感覚。焼けつくような心地。ぱちぱち騒がしいそれをぐびり、ぐびり、飲み干す。その刺激で頭は晴れやかになる。仕事終わりのやめられない習慣だ。
「炭酸水、健康的でいいね」
笑い声が隣からする。隣にいる彼女の手には甘いいちごオレがあった。可愛らしいパッケージに優しい気持ちになる。
「本当はアルコールが良いのだけど」
彼女はいちごオレのパックにストローを軽やかにさした。慣れた手つき。
「流石に社内では飲めないもんね」
のどを大きく鳴らして炭酸水を飲み込んだ私とは違い、彼女はゆっくり味わうようにいちごオレを飲む。
彼女の名前は知らない。
夕刻、業務が終わると私は必ず社内にあるこのコンビニに立ち寄った。そこで必ず炭酸水を一本買う。きっと店員には炭酸水の人、など認識されているだろう。
「これを飲むとね、スッキリする。やっと今日が終わった、ねぎらいの一本なわけ」
彼女はけたけたと笑う。
「私と同じ。私もこのいちごオレを楽しみに、一日働いているの」
くぴくぴ、そんなふうにして彼女はいちごオレを飲む。ぐびぐび、の私とは違う。
ある日、どうしようもない憤りに襲われて仕事終わりにたまたま立ち寄った社内のコンビニ。やけ喰いでもしてやろうかしら、そんな気持ちだった。ただどうしようもなく喉が渇いていた。
スカッとする飲み物がほしい。この怒りややるせなさを吹き飛ばす飲み物だ。ドリンクコーナーを急ぎ足で探る。どれも気分ではない。水で良い、そう思い水のペットボトルを手にしてレジへ向かう。他のものはもういい、とにかく喉が渇いた。
会計を済ませて、そのまま店前でフタを開けた。シュッ、小気味良い音がして嬉しくなる。口に含んですぐに咽せた。
水だと思って買ったそれは炭酸水だった。
喉と胸の苦しさに咳込んだ。苦しいのに咳のせいで余計に喉が渇く。構わず炭酸水をぐびぐび飲み干した。美味しい。甘い炭酸飲料のように喉にまとわりつく感覚はない。アルコールのような高揚感はないがそれでも喉越しが良い。半分くらい飲み干したところで小さなげっぷが出てしまった。するとぱちぱち、小さな拍手が隣からきこえた。
「良い飲みっぷりだね」
それが彼女との出会いだった。
「ねぇ、炭酸水が好きなの?」
いちごオレのパックを丁寧にたたみながら、こちらを見ずに彼女が言う。綺麗に畳んでくれてありがとう、パックには書いてある。
「うん、スカッとするからね」
初めて彼女に会った時は恥ずかしくなり、会釈だけしてそそくさと立ち去った。彼女はバイバイ、と手を振ってきたが無視した。
初めて会ったその次の日、今度は夕食を買いに来た。彼女がまたコンビニの前にいた。
「炭酸水のお姉さんだ」
彼女は美味しそうにいちごオレを飲んでいた。
炭酸水で得られる爽快感、あの日、彼女に見られた、きかれた、羞恥心よりも優っていた。それからほぼ毎日、私は仕事終わりに炭酸水を求めてここへ来る。彼女もほぼ毎日、ここに来ている。
「こんばんはお姉さん」
彼女は私をお姉さん、と呼ぶ。私も彼女も互いに名乗らないからだ。知っているのは職場が同じこと、いちごオレが好きなこと、その程度だ。会えば軽く挨拶をする。大抵、彼女が先に居て、私が炭酸水を買ってくるまで待っている。ひとこと、ふたこと交わして、あとはただ自分のペースで飲み物を飲む。そして彼女は必ず丁寧にパックをたたんだ。
「ご馳走様」
彼女がパックをたたんでいる間に私は炭酸水を飲み終える。
「今日も良い飲みっぷりだね」
彼女は私を見ずにパックを見て微笑んでいる。それでもそれは私に向けられた言葉だとわかった。
「まあね、いい気晴らしだよ」
私は彼女に向けて、彼女を見て言う。
彼女が何を思って、何を考えているのか、さっぱりわからない。しかし私はこの時間が好きだ。何も知らない彼女と過ごす時間は、仕事と家の間、友達と知り合いの間、何者でもない自分でいられる。それがひどく心地よい。
彼女の態度も好ましかった。決してこちらに踏み込んではこない。冷たさとか興味がないとかではなく、居心地の良い沈黙。時折開く口からは意味があるようで意味のない言葉たちがぽつり、出るだけ。それに返す私の言葉もまた特に深い意味を持たない。彼女が見せる笑顔は優しく、心が和んだ。
そんな穏やかな夕暮れは突然終わりを告げる。
「ああ、いちごオレ、飽きちゃった」
いつも私よりゆっくり飲んで、ゆっくりパックをたたむのに、今日は一連の動作が全て早かった。
「今日でいちごオレはおしまい。お姉さん、またどこかで、ね。バイバイ」
いつも私を見送ってくれた彼女。今日は、今日だけは私に背を向け出口へと歩き出した。彼女が歩く姿を初めて見た。ふわり、ふわり、弾むように歩く彼女は妖精みたいに姿を消した。
それきり、彼女の姿を見ることはなかった。
「その子さ、ちょっと前に辞めた子じゃない?」
こんなことがあった、と私は同僚に打ち明けた。同僚は彼女について、何か不思議な歩き方をする子でしょ、と言った。
「すっごく優しい子で仕事も一生懸命でさ。だから疲れちゃったのかな。休みがちになって、とうとう退職したって」
こんな社会じゃあねぇ、仕方ない、と同僚は話を締め括った。
私の夕方は変わらない。彼女がいなくなっても私は炭酸水を飲み続ける。しゅわり、しゅわり、ペットボトルの中で踊る泡は彼女の歩みを思い出す。喉を焼く炭酸が痛い。食道を通る炭酸水の存在がはっきりわかる。空っぽの胃がきゅう、と悲鳴をあげた。喉が痛いのは炭酸のせいだけではないことに気づかないふりを決めた。



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